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季刊家計経済研究
第36号 1997年10月pp.17-24 貨幣現象としての貯蓄と家計組織 坂井 素思
1.
貯蓄と「ずれ」の問題 この小論で考えてみたいのは、貯蓄という経済現象に、家計がどのように関わっているか、というきわめて身近な問題である。家計という組織のなかで貯蓄現象を考える面白さは、貯める時点と使う時点が異なり、さらに貯める人と使う人が異なることがあるという、かなり常識的ではあるが、いつの時代にも関心をひく、いわゆる「ずれ(lag and gap)」の問題を提起している視点にある。ここでいう「ずれ」とは、貯蓄の蓄積される出発点から、これらが使用され便益を生み出す終着点までのあいだに見られる「遅れと落差」である。このように、貯蓄は単に貯める過程だけに関わるものではなく、それらを使用・運用する過程とその間に含まれる過程とを併せもっている。金銭の受け取りについて、上述のような、時間の「ずれ」と人間の間の「ずれ」を含むことで、さまざまな興味深い経済特性を示唆している。家計は、このような「ずれ」を生み出しながらも、そのなかでこれらの「ずれ」の調整を行っている、と考えてみることができる。
今日、貯蓄理論のなかでは貯蓄動機分析が主流を占めており、貯蓄率などの蓄積過程に関心が集まっているのは事実であるが、ここではむしろ、このような家計組織のなかでの、貯蓄の使用・運用面に注目して、考え方の少しばかりの拡張を図ってみたい。 2.
貯蓄の原型 このような貯蓄を考えるうえで、そもそもの貯蓄の基本型をどこに求めるかはたいへん難しい問題を含むが、これからの議論の方向づけを決定する重要な点である。英語でsavingsという言葉が使われていることからわかるように、貯蓄観念の出発点を「節約」にもとめることは、今日では当たり前のことになってしまっている。けれども、経済学者のF.A.ハイエク(1989)が言うように、節約するという意味から保管する(keeping)へ、さらに準備する(preserving)へなどと、範囲が広がるにつれて、貯蓄とはなにかについて、意味が拡張されてきている。 ここではさらに進んで、先に述べたように、貯めたものをいかに使うのか、ということが、貯蓄の観念を性格づけている、と考えてみることができる。この意味で、貯蓄の最終的な帰結を「投資」に求めるか、それとも「浪費」に求めるかという点は、基本的な考え方の違いを反映している。たとえば、前者のタイプは、貯蓄は倹約に始まり、その資金が投資されることで完結すると考える。この倹約ー投資タイプの典型例は、M.ウェーバー(1991)の考えである。彼は、プロテスタンティズムの禁欲的生活態度に注目した。彼らの世俗的生活のなかに、勤労に励み、消費を抑制し、その結果貯蓄を行い、これが生産のための資本形成に結びつくと考える。この系譜は、その後貯蓄はfinanceであると考える学派によって、今日までうけつがれてきている考え方である。 もうひとつの後者のタイプは、貯蓄が必要を上回る過剰であると考え、最終的にこれを浪費(蕩尽)することで完結するタイプである。この過剰ー浪費タイプの典型例は、社会学者M.モース(1967)などによって指摘され、北西アメリカで観察された贈与習慣の「ポトラッチ」である。部族の首長は、自らの実力を誇示するために、それまで蓄積してきた富を競争者のまえで、一挙に消費し尽くしてしまう、あるいは贈与してしまう、という儀式がある。貯蓄が主として消費への融資を誘発するならば、この考え方は今日的な貯蓄の一面を示唆していると解釈できるかもしれない。これらのなかに、今日の貯蓄の原型をみることも可能である。 もちろん、ここでこれらの幅の広い分野に貯蓄の原型を求めたのは、今日の貯蓄の姿を短絡的にこれらの原型に結びつけたいためではない。人類学者M.ダグラス(1984)が貯蓄の議論のなかでいったように、規範的な説明をはじめから導入することは安易な方法である。けれども、今日貯蓄といえば家計貯蓄だと考えられがちであるが、企業貯蓄や政府貯蓄なども考えるならば、このような幅の広いモデルが最後には検討されることは妥当であろう。 しかしここで、もし家計貯蓄に限って議論を行うならば、これら2つの極端な考えの中間に、いくつかのタイプを考えることができる。のちの議論のために、そのひとつを、ここで紹介しておきたい。 この事例は、これから議論していくうえでの、多くの要素を含みながら、しかしかなり単純に貯蓄の本質を提示していて興味深い。人類学者のR.H.ローウィ(1979)は、マサイ族の動産所有について報告している。貨幣経済の未発達の社会では、家畜などの動産による富の蓄積が、貯蓄の意味をもつ。マサイ族の家族内では、家畜は夫の財産であると認められてきており、これらには焼き印などが施され、個人所有権のもとにおかれていたことが知られてる。けれども他方、この動産である家畜の管理は妻たちにまかせられていて、その用益権・使用権を妻たちは行使できた。そして、妻たちは、その使用権が託されている見返りとして、家畜の世話を請け負うことになっていた。家畜には、所有権と使用権の両方が含まれていたのである。 ここで問題にすべきは、所有者が夫であり、使用者が妻である、という家計内の権力関係では、もちろんない。この視点より重要な点は、この事例の場合に、貯蓄という考え方の原初的な段階で、蓄積されたものそのものと、貯蓄の管理・使用とが、分離されていることである。このような世帯のなかでは、貯蓄が誰によって蓄積され、誰の所有のものかということと、誰がこれを運用し、使用するのかということとは、別のことであると考える習慣が、マサイ族では存在していたことを示している。貯蓄が古典的な倹約・節約という意味だけで終わるものではなく、経済行動の連鎖のなかで、その使用にまで拡張して、その意味が確かめられるべきことを教えている。
3.
貯蓄動機と貯蓄使用 家計の貯蓄行動を考えるとき、今日、貯蓄動機を中心とした分析が多く提出されている。基本的な点にかえってみると、貯蓄は必ずしも貯められる過程にだけ特徴を持つものではない。むしろ、今日問題とされてきているのは、その使用面であるといえるだろう。ここで注目したいのは、家計内部の使用・運用の観点から貯蓄の意味を考えることである。 先程述べたように、貯蓄の基本的な出発点は、倹約・節約であることには、ほとんどの経済学者においても、変わりはない。たとえば、J.M.ケインズ(1983)は「所得のうち消費支出を超過する額」と定義しているし、先述のハイエクもその箇所で「将来のために、何かを節約する、保管する、準備する」ということを出発点としている。どちらの定義も、現在の消費を抑制する結果生ずるものとして、節約という意味を、貯蓄の基礎に据えている。 このように、消費を差し控える動機づけが、貯蓄を決定するという考え方は、今日でも説明力の高いものである。ケインズは、このような貯蓄動機を8つ挙げているが、最近の貯蓄に関する論文でも貯蓄を説明する網羅的理由として、これらが引用されている。それらは、予備(precaution)、先見(foresight)、打算(calculation)、改善(improvement)、独立(independence)、営利(enterprise)、自尊(pride)、貪欲(avarise)であるが、これらはその後整理されて、「貯蓄に関する世論調査」などの意識調査や、さまざまな理論仮説に取り入れられてきていることは周知のとおりである。たとえば、経済学者F.モディリアーニは、これらの貯蓄動機を、基本的な3 つに分類し直している。第1に、予測できない不確実に対処するために積み立てられるような、予備的動機。第2に、将来予想される計画的な消費のためにとっておかれる先見的動機。そして、第3に、貯蓄を子孫のために残すための、つまり世代間移転である遺産動機である。そしてさらに、近年王朝モデルのような、利他主義をもち込む立場も現れている。 おそらく、貯蓄率の計測に適合させるためには、このようなモデル分析の整備はかかせないと考えられるが、重要だと思われるのは、このような古典的な貯蓄動機から近年の貯蓄動機への移り変わりのなかで、貯蓄ということを考えるうえでの、基本的で重要なことが暗黙のうちにいくつか提起されている点である。これらの近年の理論発展には、ケインズ段階の貯蓄動機には含まれていなかった点が見られる。たとえば、ここでの遺産動機モデルや利他主義モデルには、明らかに単なる個人の貯蓄動機だけでは説明できない要素が含まれるようになってきている。これらのモデルで問題とされているのは、いわゆる世代間移転の問題である。この点を進めるうえで個人主義的方法には限界があるが、ここで貯蓄がだれのためのものなのか、そしてこの最終的な貯蓄便益の帰結がどのようになるのか、について今日問われるようになってきているのである。ここでは、貯蓄動機の分析にとどまらず、貯蓄の使用とその帰結について注目することが肝要だと考えられてきてる。
4.
貯蓄の可塑性 貯蓄の使用についての考察を視野におこうとするときに、まず問題となるのは、蓄積から使用に至る途中でみられる貯蓄の特性である。これまでみてきた貯蓄動機の一つ一つをみればわかるように、貯蓄では使用・運用面が重要であるとはいえ、消費欲求とは消費欲求とは同列に論じることのできない性質を持っていおり、このことは良く知られている。にもかかわらず、ケインズのY=C+Sという貯蓄の静態的な定義が、あまりに長期にわたって人びとの考えを拘束してきたのも事実である。貯蓄が保有されていることは認められるが、その後このことが家計に与える意味については問われなくなり、貯蓄は単に消費項目に追加される項目、第2の消費でしかないと考えられてきた。あるいは、せいぜいのところ消費の裏返しという意味づけしか与えられなくなってきていた。つまりは、貯蓄は所得から消費を引いたものという言葉に押し込められてきた。けれども、次に考えていくことだが、明らかに貯蓄は、消費とは時間についての性質上異なる点があると考えられる。 消費と貯蓄はどこが違うのか、という自明のことをここで問わねばならないのは、単にそれらの項目内容が異なることを問題にしたいからではない。ここで、貯蓄動機の充足と、消費欲求の満足とは同質のものではないとする視点を問題にしたいからである。先に述べたように、貯蓄には、現在と将来とのあいだで、貯蓄の蓄積と使用という「時間のずれ」がつねに含まれている。 もっとも、このような貯蓄と消費の区別は相対的なものでしかない。それは、収入を得て支出されるまでの「時間のずれ」が長いか短いかの違いであるからである。このような相対的な問題であるとしても、そこでは明らかに収入と支出の時間のずれが大きくなればなるほど、両者の間には、不確実な状況を含むか否かという点で、質的な違いが存在する。この「ずれ」の存在が、貯蓄の特性のひとつとなっている。 ここには、貯蓄の将来の使用をめぐって、ひとつの不確実な状況が存在することになる。つまり、その貯蓄が何に使われるかがはっきりしないという、本来的な特徴を持っている。貯蓄動機が存在することと、それがそのとおり実現されるかどうかということは、別問題である。貯蓄を行っている本人にとっては、その使用が決定されるまでの間は、目的が不確定の状態におかれることになる。あるいは、決定されていた貯蓄目的も、途中で変更される可能性をつねに含んでいる。この点に、貯蓄の顕著な特性があらわれる。最終的に使用されてしまわないかぎりは、貯蓄の目的は特定されない。使用されるまでの間、「可塑的」な状態にある。もし使用目的が完全に確定されているならば、それは消費にかぎりなく近づくことになる。このとき、貯蓄と呼ばれる必然性は、遠くなる。したがって、耐久消費財購入のための先見的な貯蓄は、確定性がすこし高い分だけ、貯蓄の性格を逸脱していることになる。けれども、これに対して、貯蓄は形をもたないがために、「可塑性」という貯蓄特有の作用を、家計内部に対して及ぼすことができるのである。
5.
貯蓄の複合性-誰のための貯蓄なのか- 話はすこしずれるが、「消費者」という言葉はよく論議され、手垢がつくほど使われている言葉となっているのに比べて、「貯蓄者」という言葉にはなじみがない。預金者という言葉は使われるが、これに対して貯蓄者という言葉にはおそらくあいまいなイメージがつきまとっていると推測できる。この点は、貯蓄が最終的に誰に帰着するのか、というここでの議論と関連があると思われる。 これまで、貯蓄のもつ個人的な目的のなかで、最終的な使用目的が不確実であることをみてきたが、この点と並んで、じつは貯蓄という状態では最終的に誰のもとへその貯蓄が帰着するのかが不確実である、という特徴もみることができる。この点では、ライフサイクル仮説や遺産動機仮説などの間で争われてきているが、最終的な決着はついていない。 実は、貯蓄には本来的に、個人に帰着する便益と、個人への便益を超える便益との両方を同時に充足させる機能のあることは、すこし文脈は異なるが、前述のハイエクたちによって指摘されてきている。彼らは、貯蓄の私的意味と社会的意味との同時性を問題にしたが、ここではこの議論からの類推として、家計内の議論にもこれを応用してみたい。 貯蓄では、通常その貯蓄形態での名義がはっきりしている。たとえば、銀行預金という形で貯蓄を行うならば、その預金通帳に名義が記載される。従って、まぎれもなく、ほとんどの貯蓄は共有形態を除けば、すべて個人所有の資産である。このため、その所有者はこの資産にかかわる便益をすべて手にすることができる。この点では、貯蓄は私的意味をもつと言える。 ところが、この資産はこの個人の所有であるにもかかわらず、同時に他者の利用を許す場合がある。たとえば、銀行預金という貯蓄であれば、銀行はその預金を第三者へ融資し、そこで新たな便益を生み出す可能性を見出すことになる。 ほぼ似たようなことが、家計内部へ対する貯蓄の働きとしても見ることができる。身近な例を挙げるなら、稼得者である夫は、老後資金のために生活費の残りを貯蓄へ回したとする。ところが、この配偶者である妻は、その老後資金としての貯蓄を不測の事態へ備える予備の貯蓄として、同時に認識することが可能である。老後に至るまでの間の「時間のずれ」を利用して、この資金を一時的に流用することが、可能である。ここでは、先見的な貯蓄動機と、予備的な貯蓄動機と両方の動機が同時に充足される可能性のあることを示している。このように、家計貯蓄は、家計員の複合的な貯蓄動機を同時に含むことができる。 おそらく消費行動では、このようなことは起こらない。消費では、モノが購入されたと同時に、使用目的が通常特定される。特殊な場合を除いては、最終的な使用のなかで、このような複合的な使用は生ずることはない。けれども、貯蓄の場合には、最終的な使用の実現は、将来の問題であるため、その実現までの間に、家計成員の間で複合的に使用することがつねに可能なのである。この複合的な貯蓄の使用が可能であることから、家計貯蓄では、個人の便益を超えるような、他者のための便益が追加して生ずることがあり得ることになる。
6.
リスク分散と家計組織 貯蓄は、家計の内部組織と密接な関係を持っている。このことは、外面的にみても、家計が企業や政府などの経済主体との比較のなかで最大の貯蓄機関であることからも推測できるが、それ以上に、その内部組織との関係が重要な意味をもっている。この点では、貯蓄動機のうちの予備的動機が説明要因として従来考えられてきたが、ここではとりわけ、貯蓄の家計内に対してもつリスク分散機能について考えてみたい。この点は、家計全体にとってたいへん有益な視点を提供している。 もし家計に貯蓄が存在せずに、フロー経済量である所得のみに依存するならば、家計の維持はたびたび脅かされることになる。たとえば、失業、病気、天災などのリスクを稼得者が被ったときに、この家計は直ちに行き詰まってしまうことになる。このような事態を人類学者のM.サーリンズ(1984)は「家計の失敗」とよんだが、この事態に対して、貯蓄はこれらの及ぼすリスクを、あるいはリスク負担を、過去から将来にわたって広範囲に分散してしまうことのできる特性をもっている。 もし一個人が不測のリスクに遭遇したならば、そのときにかかってくるリスクに対しては、通常一時点に集中して、100パーセントの費用そのままをただちに負担しなければならない。けれども、貯蓄による備えは、この一時点にかかってくる全費用を、過去へ分散することが可能なのである。リスクにかかる費用を、いわば分割払いするシステムとして、貯蓄は家計のなかで存在する意味を持つ。このような、一個人を取ってみてもリスク分散機能は、貯蓄の予備的動機の理由として、有益であることがわかるが、さらに家計組織全体にかかわる機能としても、次で見るように、意味がある。 一個人にとってみると、上述のリスク分散機能は、時間に対するリスク分散効果と考えることができる。けれども、この効果と並んで、貯蓄には参加する人数に対するリスク分散効果も存在する。このようなリスク分散は、参加者(とくに費用負担者)の数が多くなればなるほど、一人当たりの維持費用を低くすることができるため、効果もより大きくあらわれる。規模の経済性が効く分野と考えられている。従って、貯蓄が家計という集団のなかで果たしている意味は大きい。 それというのも、家計組織は、いわばリスク・プーリング機能を受け持つ組織のひとつであると考えられるからである。ここで家計それ自体は、貯蓄とは全く逆の機能を持っており、むしろ家計成員が被るさまざまなリスクを集めてきて、一か所に集約する機能を果たしている、と考えることができる。先に述べたように、家計は家計成員のライフサイクルのなかで、若い世代から老いた世代への移り変わりの過程で、所得、労働、財産などについての不測のリスクを被る可能性を持っている。これらの不確実なリスクを、すべての構成員から集めている組織として、家計が存在する。このため、「家計の失敗」という事態は、家計がリスク・プーリングの組織であるかぎりは、避けることのできない本質的な特性となっている。このようなリスク・プーリング機能を持つ家計組織にとって、貯蓄のもつリスク分散機能は、いわばコインの表裏の関係にある。 おそらく、ここで問題となるのは、なぜこのようなリスク分散を、市場を通じて効率的に処理しないのだろうか、という疑問がわくことである。実際、家計を不完全な保険市場や年金市場だと解釈する議論が存在しないわけではない。きわめて、類似した機能を双方は代替的に果たしている。 たとえば、このリスク・プーリングとリスク分散が今日もっとも典型的に取り入れられているのは、生命保険・傷害保険などの分野である。ここでは、リスクを負うと予想される人びとを集めてきて、一つの集団を形成(リスク・プーリング)し、このなかで保険料が拠出され、共同の基金(リスク分散)が作られる。そして、この集団のなかに、リスクを被った人が出たときには、その人びとの保障を行うという仕組みが取られている。ここで被保険者が不慮の事故や災害に遭ったときには、一人の個人では回復不可能であるかもしれないが、このようなリスクを数多くの人びとに細かく分散させて負担させることで、相互扶助のメカニズムを発達させている。ここでは、プーリングと分散という一連のメカニズムを使って、この基金への参加者全員の安定を確保しようという仕組みを形成している。 それでは、この保険市場のしくみと、家計の貯蓄とどこが異なるのだろうか。双方ともに、リスク分散という機能を果たしていることには、変わりはないものの、ただひとつだけその作用の及ぼす方法で異なる点を持っている。それは、リスク処理の方法が限定的なのかそれとも無限定的なのか、という違いである。保険市場では、個人は拠出した保険料に見合った保障しか受けることができない。従って、この原則を悪化させるような、経済学でいうようなモラル・ハザードや逆選択を起こすと予想される加入者は、あらかじめ排除されることになる。つまり、限定的なサービスがそこでは想定されている。ところが、家計貯蓄の場合には、「保障」の内容が無限定的であることが前提となっている。たとえ、財務内容を悪化させるような家計の成員が存在して、貯蓄を利用しようとしても、これらの人が最初から排除されるわけではない。この点で、保険市場と家計貯蓄とは、基本的な点で異なることになる。 このように考えてくると、もし個人が単なるリスク分散機能だけを求めるのであれば、個人向けのリスク分散を行う保険サービスを、市場を通じて購入すればよい。実際に近年、貯蓄を純粋に個人単位で行い、その帰着も個人単位で完結させることを考える人が増えてきており、このようなときには、貯蓄はこの保険サービスと、ほぼ代替的な役割を持っているものと考えられる。けれども、やはり家計の貯蓄が、このような保険サービスと異なるのは、無限定的な、リスクを持った人々とを排除しないで、なおそのうえでリスク分散機能を発揮させようとするところである。家計のなかで、個人はいわばリスクの固まりとして成長してくるのであるが、そのリスクはいつ発現するのか、またどのようなリスクなのであるかは、誰にも予想はつかない。このような無限定的な、リスク・プーリングと、それを処理するリスク分散サービスを行うところが、どこかに設定されている必要があると考えられており、完全とはいえないとしても、現在のところある程度それを担っているのが、家計の貯蓄なのである。
7.家計内分配と貯蓄 家計内の貯蓄は、労働経済学でいうところの、いわゆるスラック(slack)であると考えることができるかもしれない。家計は、社会学者のS.ウォルマン(1996)が指摘しているように、ほかの経済主体に比較しても、資源保持者(resource keeper)という性格を強く持っている。そして、家計の内部に前もってこれらの資源を少し余らせておく場合がある。このようなわずかな「弛み」を保持することを、ここでスラックとよんでおきたい。 問題なのは、なぜスラックとしての貯蓄を家計は必要とするのか、という点である。このことに関連して、ここで家計の示す家計内での分配構造に、注目してみたい。 近年、家計内でみられる貨幣の流れについて、そのパターンの実態が明らかにされてきている。これらの結果に従うと、収入として入ってきた貨幣が最終的に、家計の成員に分配し尽くされるまでに、かならずひとつの過程がそこには介在する。そこでは、家計員のすべてに通じているキー・パーソン(もちろん複数の人が携わることもある)を媒介として、家計内の分配がはかられているという現実が見られる。たとえば、J.パール(1994)は、家計内の配分パターンを主要な4種類に分類している。一体型(whole wage)、手当型(allowance)、共同型(pooling)、独立型(independent)であるが、それぞれ一体型は、夫婦のどちらかが家計配分の責任の一切を持つタイプ、手当型は責任の範囲は分担しているが、稼得者が定期的に手当てを配分責任者に与えるタイプ、共同型は配分責任は夫婦共同で持ち、ひとつの財布でやりくりするタイプ、そして独立型は、夫婦それぞれ独立して、配分責任もそれぞれが持つタイプである。ここで、顕著なのは、稼得での貢献の度合いが、そのまま配分にも反映されるタイプの家計は、独立型だけであるという点である。それ以外のパターンは、家計外での貢献が、そのまま配分に反映されることがないパターンを示している。そこでは、家計の責任者が家計成員の必要度を評価し、それに応じて、その配分者の責任にで、家計内では配分が行われている。パールによれば、独立型は全体の1 割程度であるから、それ以外のほぼ9割の家計では、配分パターンは経済学でいう「必要原則」にもとづいている。従って、家計外の配分パターンがそのまま家計内に持ち込まれる独立型のような貢献原則にもとづく配分は、少数であることになる。 ここで注目できることは、家計外の配分パターンである貢献原則と、家計内の配分パターンである必要原則との間で、何らかの調整が必要になってくる、という点である。このような家計外部と家計内部との間に、分配方法に違いのあることを指摘したのは、前述のM.サーリンズである。彼は、市場経済では貢献原則のもとに所得分配が行われるのに対して、家計内部の経済では、「必要原則」のもとに所得配分が行われると考えたのである。ここでは、生産への貢献に応じて貨幣所得が分配される市場原理と、それぞれの家計成員の必要度に応じて分配される家計内分配原理との間に、分配上の「ずれ」が生ずることになる。また、ここでは消費についての配分でも、家計外部と家計内部とでは違いが生ずる。家計の外部との関係である消費支出では、市場評価にもとづく貨幣交換が行われるのに対して、家計内部では対人評価にもとづく分配が行われる。このような性質は、それぞれの分野で媒介となるものの違いに反映されるかもしれない。たとえば、家計外では、貨幣給付(in cash)による分配が普通であるが、他方家計内では、現物給付(in kind)による分配が行われることが多い。 見方をかえれば、家計外から所得がもたらされ、それが家計内で分配されるときに、そこにはいわば所得移転が生じていることになる。つまり、家計内で収入のある者から、収入のない者に対して再分配が行われているのである。ここでは、ふつう必要に応じて分配されるもののほうが、貢献に応じて家計外から得られるものを上回ることが多いから、ここにこれを埋め合わせる工夫が必要となる。あるいは逆に、貢献に応じて得たものの方が、必要に応じて要求されたものより、多くなる場合も想定できる。 このような調整を行うには、調整のための費用がかかることになる。これは、いわば分配制度を運営する制度費用のような性格のものである。このときに、スラックが必要とされ、この部分は貯蓄から調達される可能性がある。このような、制度学派経済学でいうところの取引費用に類するようなものは、実際のなかでは顕在的に確かめることはできないために、それが貯蓄のどの部分に相当するのかは実証できないが、このような制度を維持する費用は、スラックとして、貯蓄の中に含まれていると解釈することができる。
8.貨幣(家計内共通財)としての貯蓄 以上で見てきたように、家計の貯蓄は、その人の財産を増大させるという本来の効果以外にも、家計内部に対してかなり重要な効果を及ぼしていることがわかる。ひと言でいうなら、貯蓄は家計内で、貨幣的な特性を発揮しているということになる。これらの効果の特徴をみるとわかるように、現実の社会のなかで、貨幣が果たしているようないくつかの機能を役割を家計内で果たしている。もちろん、ここでいう貨幣とは交換機能としての貨幣というより、むしろ信用としての貨幣の性格を強くもっているものである。最後に、ここで知り得たことをまとめておきたい。 まず第1に、貯蓄は家計内部に対して、金融的な効果を与えている。それは、前で述べたように、貯蓄が可塑性と複合性という特性を持っているからだということができる。家計の貯蓄は、その所有者が保持していながら、家計成員のリスクに対して、それらを過去や将来へ、貨幣的な分散をはかっている。この過程で、資金の余っている家計成員から資金の足りない家計成員への融通がはかられることがある。このような効果は、通常の経済のなかでは、「融資」とよばれていることに相当する。あたかも経済社会のなかで信用創造によって貨幣が生み出されるのとほぼ同じ論理で、家計内で複合的に使用可能な貨幣が「創造」されることになる。けれども、ここで家計内の融資では、無限定的な使用が行われているために、通常「利子」を生むことはない。この点では、家計外の金融効果とは、著しく異なることになる。 第2に、家計貯蓄は、所得移転、あるいは財産譲渡を家計成員の間で媒介している。この小論のなかで指摘したように、家計外の分配システムと家計内の分配システムとの間には、「貢献原則」対「必要原則」というシステムの対立が存在する。また、所得においてと同様に貯蓄でも、世代間の分配には、家計外と家計内とでは異なる。貯蓄は個人の業績に従って貯蓄が行われるが、それに対して世代間移転や、遺産は必ずしも受け取る本人の業績に従って行われるわけではない。むしろ、生得的な理由によって、貯蓄は分配される性質をもっている。このなかで、貯蓄の貯めた家計成員から使う予定のある家計成員へ、「移転」が考えられることになる。 第3に指摘しておきたい、貯蓄の家計へ及ぼす効果は、第1と第2の同列に挙げるべき効果ではなく、むしろこれらの効果の基礎にみられる、共通の特徴として挙げておきたいものである。ここでみられる特性は、本来の効果に付属して追加的におこる、いわばスピルオーバー(spillover)効果である。この点では、これまで述べてきたように、貯蓄が貨幣現象の特性を帯びていることに注目してきた。 貯蓄は、財産保有であることから、そのことで第1次的便益を引き出すことが可能だが、それを他者に「貸与」し、金融機能を発揮することを通じて、第2次便益を生み出すことになる。この貨幣的特性を利用することによって、付加的な便益を生み出している。ここでの付加的な便益を、ここで貯蓄のスピルオーバー効果とよんでおきたい。 このような貯蓄の及ぼすスピルオーバー効果については、米国のJ.M.ブキャナン(1997)によって指摘されている。彼は、特に貯蓄が金融を通じて、投資を増大させ、資本の生産性を高める効果のあることに注目している。この例は、貯蓄が家計外の経済に及ぼす影響に注目したものだが、同様の視点を家計の内部へ向けてみることも可能である。この小論で見てきたような、貯蓄の金融的な効果や、所得分配効果、さらにスラックとしての貯蓄などは、いずれも家計組織の働きをサポートしている。このような貯蓄のスピルオーバー効果は、家計組織の制度運営にとって、プラスの働きを及ぼしている。 最後に、この小論では、貯蓄が家計内部に及ぼす、いくつかのスピルオーバー効果に注目してきた。このような効果に注目することは、貯蓄の蓄積過程よりもむしろ貯蓄の使用過程に目を向けることになる。このなかで、貯蓄は家計組織と結びつくことで、付加的な便益を生みだす可能性をもっていることを明らかにしてきた。このようにして、貯蓄は暗黙のうちに、家計運営のための共通財として使われてきている。家計は貯蓄を利用して、そこに「ずれ」をつくり出すことで、家計組織内部の「ずれ」を調整し、つねに組織の再生を図っているのである。 参考文献 F.A.ハイエク『利潤、利子および投資』ハイエク全集
2 加藤他訳
春秋社
1989 M.ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の論理』大塚訳 岩波文庫
1991 M.モース『社会学と人類学』有地他訳
弘文堂
1967 M.ダグラス他『儀礼としての消費』浅田他訳
新曜社
1984 R.H.ローウィ『原始社会』河村他訳
未來社
1979 J.M.ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』ケインズ全集 7
東洋経済
1983 M.サーリンズ『石器時代の経済学』山内訳
法政大学出版局
1984 坂井素思『家庭の経済』放送大学教育振興会 1992 S.ウォルマン『家庭の三つの資源』福井訳
河出書房新社
1996 J.パール『マネー&マリッジ』御船他訳
ミネルヴァ書房
1994 V.A.Zelizer,The
Social Meaning of Money,Basic Books 1994 J.M.ブキャナン『倫理の経済学』小畑訳
有斐閣
1997 |
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