2002.4.1 The Board of Social Sciences

 

平成バブルと社会的プロセス試論

 

 古野 高根

 

平成143  

 

             はじめに

            1.戦後日本の景気循環と平成バブル

           (1)戦後日本の景気循環

           (2)個別指標による平成バブルの特徴

           (3)バブルとは何か

            2.バブル発生のメカニズム

           (1)地価

           (2)株価

           (3)余剰資金はどこから来たか

           (4)バブル発生のメカニズム

            まとめ

            参考文献  

 

 

はじめに

戦後日本の景気循環は現在迄13循環、そのうち1980年代後半―90年代前半にかけての所謂「平成バブル」とその崩壊は、上昇期もその反動としての下降期も、それまでの景気循環とは著しく異なる様相を呈する。またその崩壊が日本の金融機関ひいては金融制度全体に及ぼした影響は大きく、未だにその後遺症に苦しんでいることは先例を見ない。

この遠因は景気上昇過程の特異性に由来するものであり、下降過程とその政策の是非を論ずる前に上昇過程のプロセスの解明が必要である。そこには経済現象としての景気循環のほかに経済要因の枠を超えた社会的要因とも言うべきものが内在的にしろ外在的にしろ存在していたとの疑念を拭い切れない。本論ではそれらを総合的に解明する準備段階としていくつかの切り口からの分析を試みた。

まず、1.戦後日本の景気循環と平成バブル、では戦後日本の景気循環を概観した後、各循環の振幅の大小を比較する為代表的な観察指標を時系列的に比較し、平成バブルの特徴を明らかにした。

次いでバブルの概念を整理すべく、従来のバブルおよびその発生原因についての諸説を整理・検討し今後の検討の糸口とした。

2.バブル発生のメカニズム、では一転して平成バブルの最大の特徴となった地価と株価が、当初は景気上昇とは独立・先行するかたちで動き出した点に注目して、土地(東京の商業地)、株式の需給関係の変化を、次いでこれらに対する資金供給がどのようなかたちで行われたかを、法人、個人に分けて分析した。その後、これらの関係から推測される地価、株価バブル発生のメカニズムについて考察した。平成バブル発生のメカニズムについてはこのほかに景気循環要因、政策要因、社会的要因、経営組織的要因など多面的な検討が必要となるが、取り敢えず発火点と思われる地価、株価に焦点を絞って検討を行ったものである。  

 

1.戦後日本の景気循環と平成バブル

(1)戦後日本の景気循環

日本の景気循環サイクルのタイミングに就いては、内閣府が発表する基準日付がある。これによる景気の山、谷は、景気動向指数の一致系列(第1−1図)から計算されたヒストリカルDIと、GNPなど他の重要な経済指標、専門家の意見をもとに事後的に決定される。

(第1−1図)景気動向指数(一致指数)

 

(資料出所)内閣府

 

これによると、戦後日本の景気循環は(1−1表)の通りで13循環あり、平成バブルは第11循環の上昇期に当たる。上昇期間は51ヶ月といざなぎ景気に次ぐ長さ、その反動としての後退期も1980年代前半の第2次オイルショック後の世界的不況期に次いでいる。但し、これから分かるのはタイミングのみで、振幅の大小は判断できない。

  

(第1−1表)戦後日本の景気変動の基準日付

 

  期

 間

特   徴

 

 

 

 

拡張

後退

 

第1循環

 

51年6月

51年10月

 

(4ヵ月)

朝鮮戦争特需による景気とその反動

 

 

 

 

 

 

 

第2循環

51年10月

54年1月

54年11月

27ヵ月

10ヵ月

特需景気の余波から戦後復旧への消費景気、

 

 

 

 

 

 

投資景気

第3循環

54年11月

57年6月

58年6月

31ヵ月

12ヵ月

神武景気、設備投資の急増。「もはや戦後ではな

 

 

 

 

 

 

い」。

第4循環

58年6月

61年12月

62年10月

42ヵ月

10ヵ月

岩戸景気、設備投資GNP比20%台に。神武より

 

 

 

 

 

 

多少高原状態長いが、依然上方突出型。

第5循環

62年10月

64年10月

65年10月

24ヵ月

12ヵ月

オリンピック景気、その後「昭和40年不況」。

 

 

 

 

 

 

設備投資は中期低迷。

第6循環

65年10月

70年7月

71年12月

57ヵ月

17ヵ月

いざなぎ景気、設備投資の持続的増加。この後

 

 

 

 

 

 

「ニクソンショック」よる円切り上げで不況長期化。

第7循環

71年12月

73年11月

75年3月

23ヵ月

16ヵ月

日本列島改造ブームオイルショックで頓挫。

 

 

 

 

 

 

 

第8循環

75年3月

77年1月

77年10月

22ヵ月

9ヵ月

オイルショック後の深い谷から急回復。'76/3来高原景

 

 

 

 

 

 

気。省エネ、軽薄短小化技術革新。

第9循環

77年10月

80年2月

83年2月

28ヵ月

36ヵ月

ME関連中心の景気。第2次オイルショック後世界的

 

 

 

 

 

 

長期不況。

10循環

83年2月

85年6月

86年11月

28ヵ月

17ヵ月

一時の回復と円高不況。

 

 

 

 

 

 

 

11循環

86年11月

91年2月

93年10月

51ヵ月

32ヵ月

平成景気(バブル)、平成不況。

 

 

 

 

 

 

 

12循環

93年10月

97年5月

99年1月

43ヵ月

20ヵ月

バブル崩壊下の回復感なき回復。

 

 

 

 

 

 

 

13循環

99年1月

00年10月

21ヵ月

 ?

最短、低成長の回復。

 

 

 

 

 

 

 

(資料出所)内閣府

 

 

 

 

 

 

  (2)個別指標による平成バブルの特徴

 そこで、平成バブルの特徴を探るべく、いくつかの経済指標により他の景気循環と比較してみる。

a.成長率

     (第1-2図)成長率前期比推移

  (資料出所) 内閣府、国民経済計算年報(国内総支出、実質、季調値)

 

1975年より成長率は下方屈折している為、それ以前の好況期より低い成長率となっている。平成バブルも期間は長いが第9循環と同じ程度の成長率となっている。

 

b.物価

2度のオイルショックでの突出した高騰の後、’80年代後半の上昇率は寧ろ低下気味。平成バブルの初期は物価上昇率は低下気味で、特に卸売物価は大幅なマイナスを記録した。後半から尻上がりに上昇率は高くなったが、水準としては従来とそれほど変わっていない。

  

 

      (第1-3図)卸売物価・消費者物価前年比

  (資料出所)日本銀行・物価指数月報、総務庁・物価統計月報

 

c.通貨量

     (第1-4図)通貨供給の伸び推移

(資料出所)日本銀行・経済統計月報

 ’70年代を通じて趨勢的に伸び率は低下しており、’80年代に入ると’81-2年に高かった後、高原尻上がり状況が続いた。’87年以降急上昇するが、水準は’70年代より低い。

d.株価

     (第1-5図)実質株価推移

          (資料出所)日本経済新聞・日経平均株価225種、CPI1995=1

一般物価からの乖離を見るべく消費者物価指数でデフレートしてみると、’60’70前半の突出はあるが然程大きくなく、平成バブルの突出が断然高く長い。消費者物価の落ち着きもあって、’82年頃から上昇は始まり、’85年には過去のピークを抜いている。

e.地価

    (第1-6図)実質地価(商業地)推移

               (資料出所) 日本不動産研究所・市街地価格指数、CPI1995=1

戦後我が国の地価は右肩上がりの上昇を続けてきたが、この間3回の急騰期を経験している。1960年代前半、’70年代前半、そして’80年代後半の平成バブル期である。1回目は高度成長期に当たり大都市圏の工業地主導型、2回目は列島改造ブーム下で全国すべての地価が上昇、全国市街地価格上昇率では平成期を上回る。これに対し平成バブル期は東京都心商業地から始まり、周辺住宅地、大都市圏の商業地へと時間と共に波及していき6大都市の市街地価格上昇では’70年代と並ぶものの全国市街地ベースでは遥かに及ばない。しかしながら、株価同様消費者物価指数でデフレートした指標の推移で見ると列島改造ブーム期は物価上昇も大きく、これでかなり吸収されるため6大都市商業地価格の上昇は平成バブル期は規模、期間とも桁外れに大きい。しかもこのバブル崩壊後に金融問題ひいては我が国経済に多くの後遺症を残した点でも過去例を見ない。上昇は’83年頃より始まり、’85年には過去のピークを抜いている。

この様に、平成バブルでは資産価格は一般物価水準の動きから乖離して例のない程度に突出している。森永は、支払能力と比較すべく地価、株価を名目GNPで割った指数の推移から、1960年と90年にピークありとする「フタコブラクダ」説を採っているが、フタコブの谷間に当たる時期は高度成長期で名目GNP上昇の影響が強い。

 

(3)バブルとは何か

バブルそのものの定義に就いては色々の観点からの見解があり、かつその事自体が余り論争の的となっていないので、対立点が明快になってもいない。しかしながら、一般に述べられているバブルについての記述を大別すれば下記の通り。

a.景気循環説

篠原は平成景気に就いて、中期循環の上昇過程で踊り場を挟んで2つの小循環が結合したものでいざなぎ景気と同様のケースであり、これに17年周期の建設循環のピークが重なったものだとしている。加えてこの時期に就いて超長期循環(コンドラチェフ波)の概念を援用して、長期の成長が限界に近づくとインフレ的過熱が起き国際資本移動と同時に国内で大型バブルが発生するのだと説明する。従って4つの波の下降過程が重なった平成不況は我が国初のコンドラチェフ不況であるとした。

以下バブルまで循環論で説明し切っている訳ではないが、

宍戸は、バブル崩壊後の92年に「これまで国際収支は黒字でインフレを伴わない景気上昇であったため若干の在庫調整さえすれば再上昇は可能」との大方の楽観論に対し、平成景気の設備投資循環としての面を強調、下降局面入りを警告している。但し、バブルに就いては、「金余り経済がバブルを引き起こし、バブルのお陰で経済拡大の期間を長くし経済全体に行き過ぎを正常であると誤認させた」とバブルと景気循環とは区別している。

田原も平成好況は景気循環として捉えており、89年の景気を占うに当たって中期循環の山は1985年で90年末頃迄は下降局面であり、今回の短期循環の上昇期間も88年末頃に山が来るため、89,90の設備投資は自立的に大幅鈍化して景気は後退局面に入るとした。

また、その後の平成不況に就いても景気循環として捉えており、バブルは単なる撹乱要因と考えている節が窺える。田原は日本のコンドラチェフ波に就いて、山は1970年前後で谷は1990-95年としており、篠原とは見解の相違がある。

 

b.ファンダメンタルズからの乖離説

これに対し経済的なファンダメンタルズを計測可能な値として定義し、計量的手法を用いて求めた理論値と現実の値との乖離を以ってバブルの存在を説明しようという試みがある。これを地価と株価に分けて検討すると、

@地価

野口は、一般的な資産のファンダメンタルズ価格(p)の決定式

 p=r/(i−g) r=収益、i=利子率、g=収益成長率

に基づき、バブルを実際の資産価格とファンダメンタルズ価格との乖離と定義する。しかしながら現実の世界ではファンダメンタルズ価格の算出は困難な為、これを代替的に求めざるを得ない。野口は、金利水準、不動産賃貸料から「収益還元価格」を算出し、東京のオフィス、住宅地価格はファンダメンタルズモデルによる理論地価の約2倍であると指摘した(1987)。また住宅地地価を、面積当たり県内総生産、利子率、県内人口増加率、隣接県人口密度、本州外(ダミー変数)、第23次産業比、で説明するファンダメンタルズ価格モデルを作成し、首都圏以外の地域、首都圏の80年代半ばまでは実際の価格はモデルで説明可能ながら、80年代後半の首都圏の地価は計算値から大きく乖離(約2倍)しておりバブルの存在を裏付けた(1990)。

経済白書(1990)も同様の分析で、地価は「将来に亘る予想収益の割引現在価値」であるとする収益還元モデルに基づき、地代収入は現在の水準が続く、割引率は現在の長期債利回り、とみなして3大都市圏の理論地価と現実地価を比較した。これによると東京圏の商業地は現実地価が83年から上昇しているのに理論地価は86年から、住宅地は現実地価が理論地価を大幅に上回ったのは86年以降で、大阪圏では遅れて追随したとしている。

また植田は上場不動産会社のデータから推計した地価と賃貸料の比率が長期的に安定しているにも関らず、70年代前半と80年代後半には地価がトレンドからずれて大幅に上昇してしていることを指摘し、

賃貸率利回り=安全資産の金利+リスクプレミアムー賃貸料の予想上昇率

とみて、予想上昇率には各期の現実の上昇率をあてて各時期のリスクプレミアムを試算したが、80年代後半のリスクプレミアム(9.4%)はそれ以前の平均(7.2%)より若干高い程度で、ファンダメンタルズで説明可能ということになるとした。但し、戦後右肩上がりの地価上昇の中で7-8%のリスクプレミアムが正当化されることには疑問を差し挟んだが、これは80年代だけのこととは言えないとしている。

A株価

植田は資産価値から見た株価の妥当性を検討すべく、トービンのqと「S(株価)/W(投資財価格評価)」の推移を計測し、80-6の上場企業に就いてはトービンのqは83年に1を越え、86年にはq=2.03S/W=1.73となり、株価は資産価値を上回って過大評価されているか将来収益が急増する期待を市場が抱いているかのどちらかであるとした。また企業収益との関係における日米のPERの違いに就いて、日本の株式持合い制度、実質金利、利益成長率で殆ど説明できるが、83年以降のPER急上昇は説明不可能で、株価の過大評価、予想配当の急上昇があったと考えられるとする。さらにその後、別のモデルで日本のPERの高さは高率の内部留保と広汎な株式持合いの結果としてかなりの部分を説明できるが1986-9年の急上昇は説明できず、在庫、資本ストック、土地の予想価格上昇率が一般的インフレ率乃至最近の上昇率に等しいと見てリスクプレミアムを算出してみると80年代のPERの上昇にはかなりの低下、後半には一層のリスクプレミアムの低下がなければ60倍近いPER水準は説明しにくいと論じている。

小川と北坂はバブルがファンダメンタルズからの乖離という点では見解を一にするが、資産価格上昇期待による合理的バブルと投資家の持つ情報の不完全さによるファッズとを区別できない従来の分析とは異なり、資本市場の情報に基づき形成されるトービンの平均q(資本市場価格/設備資産)と生産物市場の状況や生産技術の情報から直接的に期待される収益性の指標としての限界q(将来収益の現在価値/設備資産)を計測し時系列的に比較した。その結果、1980年代中頃から90年代初頭に掛けて株価には、設備投資が生み出す将来収益とは無関係のノイズ(バブル?)が混入しており、これは土地資産価格の上昇とも有意な関係にあることを指摘した。

浅子・加納・佐野は、株価はマーケットファンダメンタル価格と撹乱項との和からなり、バブルの撹乱項は自己回帰的な確率過程であるとした上で、1970/1-88/12TOPIXデータから指数トレンドによる回帰式で求めたファンダメンタル価格を差し引いた残差額から一定の仮定の下に推定された自己回帰係数βを算出し、β>1なら発散的バブル、

0<β<1なら定常的なファッズとみた。結果、バブルの持続は79/1-1211ヶ月が最長、連続したファッズは74/7-76/1028ヶ月が最長で、3ヶ月以上続いたバブルは12回あり、このモデルでは頻繁に発生するものとなっている。

これほど数学的厳密性を求める訳ではないが、想定されるファンダメンタルズとの比較でバブルを定義したものもある。

上記小川・北坂は限界qにおける割引ファクターや利潤率の将来変数は確率的手法により推計されているが、シラーはこれを歴史的に捉え、米国の株価について「実質S&P複合株価指数(インフレ調整後)」を「実質S&P複合企業収益の過去10年間の移動平均」で割った株価収益率の推移から見て突出している1901,29,66,2000年をバブルとしている。

経済白書(1991)では、PER(株価収益率=株価/1株当たり利益)に長期金利をかけた

金利修正PERのトレンドをみると85年から87年前半にかけては2-3倍であったものが、87/9のブラックマンデー直前には4.84倍、一時下がったもののトリプル安直後の90/1には4.64倍をつけた後、91年末には2.55倍に戻った。この2つの時期には株価が一時的にファンダメンタルズから乖離していたと指摘した。

 

c.大変動説

 一方ファンダメンタルズを前面に出さずにバブルを通常の景気循環とは違った大きな変動と抽象的かつ叙述的に捉えようとする見解もある。

吉冨はバブルについては「株式ブームや土地投機の全国的な熱狂」といった程度の表現しかしていないが、株価インフレと地価インフレの発生メカニズムは異なるとしたうえで、株価に就いてはファンダメンタル価格(PER)は、上記野口の資産価格決定式に投資期待期間(T)の概念を織り込み、

 p/r={1+T(g-i)}/i

となり、i(金利)、g(収益成長期待率)、T(収益成長期待期間)の変化の相乗効果によりPERは大きく変化することを説明し、むしろファンダメンタルズ自体がg、Tといった期待値に大きく左右される。PER(p/r)が僅か1年間で倍増(80年代前半平均価格25倍、8650倍)し、かつその高い水準が4年近く持続した様な「期待」膨張の原因はインフレなき成長、技術革新、企業システムへの信頼の三拍子であるとした。また地価バブルに就いては、金融自由化によってフランチァイズ・ヴァリューが低下した銀行が収益機会を求めて情報コストとしての土地評価コストの低下する不動産担保融資に傾斜していったことが原因であるとしている。

さらに計量的な面は希薄となるが、翁・白川・白塚の日本銀行金融研究所のスタッフは平成期のバブルについて、資産価格(株価・地価)の急激な上昇、経済活動の過熱、マネーサプライ・信用の膨張が同時に発生したか否かを判断基準とすべきとして、1987-90年の4年間を「バブル期」と定義した。

 

d.熱狂説

欧米ではバブルをローマ時代からあったとされる投機の行き過ぎた局面とする捉え方が強く、Manias(熱、キンドルバーガー)、Euphoria(陶酔的熱病、ガルブレイス)、Exuberance(熱狂、シラー)など表現は異なるが、いずれも心理的な現象と見る向きが多い。

キンドルバーガーはバブルを「熱」(Manias)と捉え、現実性とか合理性とは没交渉の集団的異常興奮とか狂気であるとしている。それは、行動開始時には合理的でも、後はより急速に現実との結びつきを失っていき、様々な集団の間では合理性の程度は異なるものの、全体は部分の合計とは異なるという合成の誤謬に陥っている状態としている。

ガルブレイスも大掛かりな投機のことで、その中には陶酔的熱病=現実からの大量逃避が組み込まれており、「世の中に何かすごいものが現れた」ということを梃子に広がるとしている。

チャンセラーはバブルとは何かに就き直接答えてはいないが、古今のバブルの歴史を記述する中で、バブルとは投機、市場の熱狂といった捉え方をしているものと思われる。従って、発生した時代により景気循環と必ずしも連動しておらず、一国の経済に与える影響にもかなりの濃淡がある。

シラーはバブルの広がりを説明するツールとして、反復しつつ増幅される過程を説明したフィードバック・ループ理論を援用している。

 

e.検討

いずれも分析の角度が少しずつ異なり、またどの面を強調しているかであって、他の側面を全く無視している訳ではない。その点には敢えて配慮をせずに各説を検討すると、

平成バブルに就いては循環論だけで割り切ってしまうには、過去例を見ない景気循環を越えた実質資産価格の急騰・反落は経済財の一つとしては理解できない動きである。

一方ファンダメンタルズからの乖離説は理論的には明快であるが、経済実態(指標)に即した説明ということになると計量化のモデルが精緻になればなる程、経済実感との距離が大きくならざるを得ない。寧ろ大変動説のような大掴みな捉え方の方が説得力に優れるとすら言える。

熱狂説はバブル発生の根底にあるものを説明したもので、この事自体説得力あるが、この際想定されているのは投機の行き過ぎに限られることが多く、経済全体の動きを説明するものとしては不十分といえる。

 従って敢えて(平成)バブルについて定義付けるとすれば、「株価、地価に象徴される経済実態から乖離した資産価格の上昇とそれが国民経済に及ぼした影響の総体」と定義するのが現実的であろう。もとよりその背後には、国民の熱狂という心理的要因が存在することは言うまでもない。

 

(2)株価

 平成バブル期の名目株価の動きを示せば(2-5)の通りである。

(資料出所)日本経済新聞

 

なだらかな上昇を続けてきた株価は、’81-3年頃から上げ動意が見え始めた。この時期は、円高と日本企業の国際競争力強化を評価した外人買いに端を発するもので、「日本株浮世絵論」など、国内では焦りが見られた。この点は、(2-1)の部門別売買差額を見ても明らかで、この時期外国人は買い越しとなっている。’84-6’87-9とバブル最盛期に入ると、もともと安定的な買い手だった金融機関は資金量拡大に伴う運用手段として、また取引維持の為の安定株主或いは持ち合い株主として買い越し高は急速に膨らんだほか、事業法人も安定株主、持ち合い等で増加した。しかしながら、買い越しの量から見て、事業法人の運用としての直接株式投資は比較的少なかったのではないかと思われる。一方、安定株主化が進む中での、投資信託を通じての運用目的の買いが急速に株式相場を引き上げる原動力になったものと思われる。(第2-2表)は投資信託の動きを示したものであるが、法人が中心であったと見られる株式投信は’84-611兆円、’87-920兆円の大幅な設定超過となっており、証券バブルが始まった’83年とピークの’89年の株式保有状況(2-3)を比較してみると、この間保有比率は1.0%から3.7%へと金融機関に次ぐシェアポイントアップとなった。しかし、’90-2年には反動から激減、巨額の運用損も出している。

一方、公社債投信は当初法人の余資運用対象として増加したが、’84/4転換社債との抱合せ販売が禁止されるや個人主体の市場開拓を進め、’81-3’84-6とも5兆円前後の設定超過となった。’87-9には増勢は完全に止まり個人も一部株式投信にシフトした節が窺える。逆に株価落ち込みを受けた’90-2年には従来にも増して個人資金が戻って来たものと思われる。個人の株式売買に就いては一貫して売り越しで、株式保有状況を見ても1980-92の間に保有シェアは5.3ポイントの低下を見ており、数はともかく市場に影響を与えるプレイヤーではなかったと見てよい。

(第2-1表)投資部門別株式売買差額(単位、百万株)

(資料出所)証券統計年報

 

 

(第2-3表)株式分布状況(株式数ベース、%)

 

政府地公

金融機関

投資信託

証券会社

事業法人

外国人

個人他

1980

0.2

37.3

1.5

1.7

26

4

29.2

100

1983

0.2

38

1

1.9

25.9

6.3

26.8

100

1989

0.7

42.3

3.7

2

24.8

3.9

22.6

100

1992

0.6

41.3

3.2

1.2

24.4

5.5

23.9

100

(資料出所)証券統計年報

 

@     製造業

(2-6)製造業の資産・負債滞留月数推移

(資料出所)法人企業統計季報(以下同じ)

(注1)参照

 

(2-6)製造業の資金移動

製造業(全規模、単位十億円)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

,77-80

,80-83

,83-86

,86-89

,89-92

 

,77-80

,80-83

,83-86

,86-89

,89-92

 

現金有証

6,740

9,473

14,057

25,250

1,253

借入金

5,784

9,191

8,478

5,129

15,075

 

棚卸資産

8,716

1,652

-413

4,698

6,405

その他流動

15,378

6,043

744

26,533

1,485

 

その他流動

11,685

8,168

4,324

28,732

2,451

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社債

462

1,693

5,016

10,902

4,635

 

土地

1,618

2,108

3,574

6,569

5,681

その他固定

-138

339

524

1,021

597

 

その他固資

19,443

26,410

33,049

39,167

57,478

 

 

 

 

 

 

 

投資不動

1

13

9

34

-4

自己資本

27,567

31,790

41,952

63,696

55,530

 

長期貸付

569

591

442

283

1,479

 

 

 

 

 

 

 

その他投資

281

641

1,672

2,548

2,579

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(計)

49,053

49,056

56,714

107,281

77,322

(計)

49,053

49,056

56,714

107,281

77,322

 

(2)参照

主要資産の動きを売上高との対比で見ると、運転資金需要は’80年代を通じて安定しており、余資の水準も’80年代前半は安定していたが、中頃以降上昇に転じ’89年にはピークとなり、一時的には余資残高が借入残高を上回る実質無借金状態が実現した。固定資産に就いても年後半には徐々に増勢に転じている。調達面でこれを支えたのは減価償却、内部留保を中心とする自己資本の増加で、特に’80年代後半には社債と共に資本市場からの調達が加わり急増した。結果、借入金への依存度は一貫して低下している。

 これを資金移動で見ると、運転資金面では大きな資金需要の変化はない。’86-9年には売上増加を反映して売上債権・債務が大きく増加したが、実質資金需要にはさして影響していない。設備投資は期間中一貫して増加が加速しており、景気上昇の息の長さを示している。しかし、金融的には自己資本の増加の範囲内であり、借り入れは安定した増加額で推移、寧ろ設備投資後の流動性増加額の方が上回って余資運用が徐々に拡大していく素地を作ったといえる。’83年頃からは設備投資の水準が切り上がっているが、’86-89年には自己資本増加額がピークに達したほか、社債発行も高水準となったため高い設備投資の伸びを吸収してさらに余資運用が増加した。設備投資は’89年以降も増え続けた反面自己資本増、社債調達額も減少したため、借入金が増加し余資もほとんど増えなかった。しかし借入増加の絶対額で見れば’89-92年でも全社借入額の2割程度と低い水準に止まっている。

A     不動産・建設を除く非製造業

(2-7)非製造業の資産・負債滞留月数推移

 

(第2-7表)非製造業の資金移動

非製造業(除く不動産・建設、全規模、単位十億円)

 

 

 

 

 

 

,77-80

,80-83

,83-86

,86-89

,89-92

 

,77-80

,80-83

,83-86

,86-89

,89-92

 

現金有証

9,600

9,024

17,891

40,106

-7,830

借入金

22,296

26,313

35,074

69,885

26,988

 

棚卸資産

6,021

2,084

2,954

3,476

6,811

その他流動

23,358

9,277

15,051

30,260

7,603

 

その他流動

22,640

14,361

19,790

44,732

14,305

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社債

2,544

1,452

6,383

6,985

4,536

 

土地

3,928

2,871

6,862

8,940

21,972

その他固定

2,627

1,817

909

4,655

16,586

 

その他固資

26,700

32,113

47,985

64,056

81,061

 

 

 

 

 

 

 

投資不動

-31

11

51

144

-107

自己資本

21,376

25,381

44,573

61,295

70,656

 

長期貸付

594

1,685

1,298

2,299

1,855

 

 

 

 

 

 

 

その他投資

2,749

2,091

5,159

9,327

8,302

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(計)

72,201

64,240

101,990

173,080

126,369

(計)

72,201

64,240

101,990

173,080

126,369

 

業種柄運転資金需要は低水準で期中を通じて安定した推移を示している。固定資産、余資とも、もともと低水準であったが、固定資産は流通、レジャー産業等の旺盛な設備投資に支えられて増加、’80年代半ばより増勢を強めて’92年に至り、余資も借入金と歩調を合わせて増加した。調達面では’80年代半ばから自己資本も増加したが、借入の増加が目立っている。

資金移動を見ると運転資金需要に大きな変化は認められない。設備投資は製造業同様コンスタントに増加したが、自己資本では賄ないきれず、一貫して借り入れ依存となった。’83年からの設備投資の盛り上がりに対しては、自己資本、社債の増加だけでは不十分で、借り入れの増加ペースがさらに上がり大きな資金需要となった。同時に過剰借入分は余資として滞留し運用に回された。’89-92年の更なる設備投資の増加に対しては、製造業と異なり自己資本はさらに増加したものの、借り入れ・社債での調達が不十分だったため一部運用資金を取り崩して対応している。

 

B不動産業

 賃料収入との比較となるため他業種に比べ資産の重さが目立つが、運転資金面では’89年から負担が増え、固定資産では’83年より既に増加が始まっている。’83-9年には借入と並行する形で余資の増加も見られた。調達では期半ばには若干自己資本も増加したが、社債も低水準で固定資産・在庫の急増には追いつかず、借入水準が急増することとなった。

 資金移動で見ると、本来運転資金需要はほとんど発生しない業種であるが、’86年以降土地仕込みが高水準となってきたため、棚卸資産の増加が目立つようになった。設備投資については、’80年より増加が始まり’80-6年に水準が一旦切りあがった後、’86-92年にはさらに増加額で3倍近い伸びを示すなど2段階の上昇となった。この間自己資本も増加はしたが絶対額が小さすぎて設備投資を賄うには程遠く、全面的に借り入れに依存するかたちで増加額は一貫して上昇し、借入市場でも’92年には全借入の21%を占めるなどビッグプレイヤーとなった。もともと慢性的資金需要業種のため余資は少なく、’86-9年に過剰調達分が滞留した余資も’89-92年に借り入れ調達がペースダウンすると取り崩しを余儀なくされた。

(2-8)不動産業の資産・負債滞留月数推移

 

(第2-8表)不動産業の資金移動

不動産業(全規模、単位十億円)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

,77-80

,80-83

,83-86

,86-89

,89-92

 

,77-80

,80-83

,83-86

,86-89

,89-92

現金有価証券

351

2,127

3,527

10,352

-447

長短借入金

3,274

7,858

8,830

34,623

26,603

棚卸資産

2,738

2,729

-389

10,494

11,373

他流動負債

2,580

420

289

6,404

-940

他の流動資産

1,215

1,256

2,235

6,912

4,586

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社債

94

150

47

922

1,080

土地

1,217

2,106

2,924

5,911

9,550

他固定負債

1,502

1,459

-288

2,020

4,908

他の固定資産

2,782

4,108

2,237

8,736

8,851

 

 

 

 

 

 

投資不動産

-24

-2

253

99

14

自己資本

1,334

2,979

2,697

1,691

4,850

長期貸付金

200

129

305

1,483

416

 

 

 

 

 

 

その他投資

305

413

483

1,673

2,158

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(計)

8,784

12,866

11,575

45,660

36,501

(計)

8,784

12,866

11,575

45,660

36,501

 

 

B     建設業

(2-9)建設業の資産・負債滞留月数推移

 

(2-9)建設業の資金移動

建設業(全規模、単位十億円)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

,77-80

,80-83

,83-86

,86-89

,89-92

 

,77-80

,80-83

,83-86

,86-89

,89-92

現金有価証券

2,120

2,575

3,373

8,200

2,172

長短借入金

1,845

4,215

3,861

8,121

10,766

棚卸資産

4,978

1,931

3,211

10,410

13,075

他流動負債

7,276

1,956

4,563

17,146

15,414

他の流動資産

2,430

1,951

2,792

7,408

9,715

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社債

51

70

495

1,173

938

土地

525

676

945

2,580

3,361

他固定負債

66

64

142

482

176

他の固定資産

2,035

2,222

2,489

4,244

6,921

 

 

 

 

 

 

投資不動産

-59

-13

-4

125

-98

自己資本

2,909

3,301

4,125

7,356

9,924

長期貸付金

27

87

76

386

605

 

 

 

 

 

 

その他投資

91

177

304

925

1,467

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(計)

12,147

9,606

13,186

34,278

37,218

(計)

12,147

9,606

13,186

34,278

37,218

 

業種柄巨額の立替、未収工事等は前受け金、支払繰延べ等で賄われるため、一時的なずれを除いて大きな運転資金需要は発生していない。固定資産も設備依存度が低く’80年代末の僅かな盛り上がりを除いて低水準で推移、余資水準も’89年に若干増えるに止まった。調達面でも、期後半で自己資本も増加した為、借入依存度は殆ど上昇しなかった。しかし、バブル期の大手建設業においては、受注確保の為、子会社を通じての不動産投資、債務保証、念書差し入れ等オフバランスでのリスクテイクが盛行し後年問題化することになる点は留意する要がある。

資金移動の面では、運転資金はさして動きなく、’80-3年の資金需要も前期の立替金の精算に伴うものと考えられる。しかし’86年以降、特に’89-92年は立替工事が急増し資金需要が拡大した。設備投資はもともと低水準で自己資本増加額の範囲に収まっているが、’86年頃から増加に転じ、’89-92年には急増、社債調達も増加したが運転資金も含め借り入れに跳ね返ることになった。しかしながら規模は不動産業に比較してはるかに小さく、余資運用も’86-9年には盛り上がったものの僅かであった。

 

(注1)滞留月数算定にあたっては勘定科目を次の通り整理した.

現金有価証券=現金預金+有価証券+投資有価証券

 

運転資金=受取手形・売掛金+棚卸資産ー支払手形買掛金

固定資産=土地+その他の有形固定資産+建設仮勘定

 

自己資本=資本金合計+特別引当金+長期引当金+短期引当金

売上高=過去3ヶ年の平均月商

 

 

 

(注2)資金移動表では資金の移動状況を明確にする為次の通り整理した。

現金有価証券=現預金+有価証券+投資有価証券

その他固定資産=土地以外の有形固定資産+建設仮勘定+期中減価償却

自己資本=資本金勘定+短期引当金+長期引当金+特別引当金+期中減価償却

 

 これを貸し出しサイドから見ればどうなっているだろうか?

 全国銀行の業種別貸し出し増加状況を同時期についてみれば次の通りである。

(2-10表)全国銀行銀行残高貸出増加推移(単位十億円)

 

 

 

1977-80

1980-83

1983-86

1986-89

1989-92

 

 

 

 

 

 

製   造   業

4,670

9,324

5,288

1,504

38

非製造業(除建設不動産)

11,490

19,319

22,471

38,935

14,376

建   設   業

1,015

2,744

3,503

5,676

4,183

金 融 保 険 業

2,330

6,270

10,674

15,323

-437

不  動  産  業

1,518

4,078

11,855

17,488

6,501

個       人

4,828

2,779

5,959

30,215

11,816

地方公共体・海外

1,831

1,903

3,629

1,562

1,409

 

 

 

 

 

 

27,682

46,417

63,379

110,703

37,886

(資料出所)日銀 経済統計年報

 

即ち、貸出増加額合計で見ると1980年代は一貫して増加しており、特にバブル最盛期の’86-9年には’70年代末の4倍の増加額となった。これを業種別に見ると、製造業向けの貸し出し増加は期を追って減少し、’89-92年には純増ゼロとなった。一方、非製造業は貸し出し増加首位の座を保ち続けてはいるが、純増額に占める割合は’70年末の42%から’80年末には35%にまで低下した。この間旺盛な資金需要を示したのが不動産業で、’70年末と比較すると’80年末には11.5倍の増加で借入増加額の16%を占め、建設業、ノンバンクを中心とする金融業のいわゆる不動産関連3業種では’86-9年の増加額中35%とその他の非製造業全体に匹敵するマーケットとなった。なお、この期に急増した個人向け貸し出しも個人所有の不動産を担保としたフリーローンや節税対策としての個人向けアパートローン等が中心であったと見られることを考え合わせるとこの時期の借入増加の過半を不動産関連で占めていたということが出来る。

これを資金供給の金融機関別に見ると(第2-10図)、データの制約で’84からの増減額しか判明しないが、この時点で資金量で都銀の1/3、地銀の1/2しかない信託銀行、同じく都銀の1/4、地銀の4割の長期信用銀行の限界資金供給が都銀に比べてかなり高いことが分かる。別の資料により不動産業向け設備資金貸し出しで見ると、既に’81年頃から都銀に先行して不動産関係への貸出を伸ばしていたことが観察される。地価高騰が本格化した’86年頃からは都銀の貸出増加が顕著となり、これが更なる地価高騰を齎した。

しかしながら、’90年代に入るとこの勢いも影を潜め、一挙に増加額は前3年の3分の1に縮小し、特に不動産関連3業種向けの落ち込みは大きかった。

(注)信託銀行は信託勘定を含む。

 

(3)余剰資金はどこから来たか

a.個人

(第2-4表)貯蓄種類別残高増減(全世帯、1世帯当たり、単位千円)

(資料出所)総務庁統計局「貯蓄動向調査」

 

平成バブル期を中心とした1世帯当たりの貯蓄増減額の推移を示したものが(2-4)である。先ず、所得と負債差し引き後の純貯蓄残高の推移を見ると、所得に比べ貯蓄残高の増加が上回っており、家計内の蓄積が着実に進んでいることを示している。増加額を内訳で見ると、’77-80には増加額の6割を占めていた預金の割合は低下し、生命保険、金額は少ないものの金融機関外貯蓄等が着実に増加している。株式、株式投資信託は’86-9には急増したが株価高騰の影響に加えて一部他貯蓄からのシフトもあったものと思われ、翌期には値下がりもあり大幅減となった。この期には預金増加が圧倒的となっている。

(第2-5表)個人貯蓄残高増減(単位十億円)

(資料出所)日本銀行、経済統計年報

 

これをマクロで捉えたものが(2-5)である。株式投資額が含まれていない為、預金が貯蓄増加額の6割見当を占め安定的に推移していたが、’86-9年には貯蓄合計の増加額自体が一挙に従来の7割増、預金増加額も4割増となったが、高利回りの生保商品が人気を集めた保険、好パフォーマンスから一部資金シフトを受け運用益も膨らんだ投資信託が急増した為、一気に貯蓄の多様化が進んだ。反面、急増した商品は’89-90の反動落ちも激しく、再び大半の貯蓄は預金に戻ることとなった。

何れにしろ、個人預貯金の増加額は銀行貸出増加額を大きく上回っており、それ以外に保険、投資信託によって集められた資金は運用難の下でかなりのものが形を変えて株式投資、不動産融資市場に投入されたものと思われる。

 

b.法人

 1980年代の企業の金融動向を検討するため、法人企業統計(全規模)に基づき3年毎の貸借対照表を業種別に採取し、主要資産・負債の動きを売上高との比較で捉え、その推移を概観すると共に、各期間の資金移動表を作成して、資金の流れを追ってみた。

 

(4)バブル発生のメカニズム

改めて地価・株価高騰のメカニズムを総括すれば下記の通り(第2-11図)。

  

 (2-11)バブル発生のメカニズム

 

即ち、我が国の産業構造が重工業中心から軽薄短小化、ソフト化の傾向を強めるにつれて、改めて東京への勤務人口の集中が見られるようになり、国際化の進展による外資系企業の日本進出も東京中心で、東京におけるオフィス需給は一挙に逼迫することとなった。不足するオフィスの供給は、取り敢えず用地に余裕のある都心周辺から始まったが、老朽化と高度成長時代の地価上昇のため手がつかずに取り残され空洞化していた都心の再開発に移り、遂には積極的な地上げが行われるようになった。この結果、地上げに伴う代替地探し、地価急騰の結果重くなる相続税負担の軽減を狙った不動産投資(土地の相続税評価額が時価よりかなり低いことを利用したもの)、値上がり期待の不動産投資等の買い要因が殺到し、折りからの金融緩和で不動産担保融資による資金調達が容易であったことも手伝って地価は高騰、上昇は更なる上昇を呼ぶ、シラーのいうフィードバック・ループを現出することとなった。

一方、1980年代を通じて個人貯蓄の蓄積は所得の上昇を上回って進んだが、預貯金主体の運用から、金融自由化の影響を受けて’80年代後半には自由金利預金、高利回りの生命保険、債券等へと一気に多様化が進み、一部株式投信にもシフトが見られた。しかしながら、確定利回り型商品中心の保守的な運用は変わらず、株式バブル崩壊後は預金回帰が激しくなった。製造業大企業を中心に自己金融力の増した法人も当初は自由金利預金・債券中心の運用であったが徐々にハイリスク・ハイリターン型(尤も大口投資家には証券会社による水面下での利回り保証がかなりあった模様)の株式投資信託へとシフトしていった。結果として資金が潤沢となった銀行・生保は資金需要旺盛で価格が上昇する土地が裏付けとなる不動産関連融資を拡大させる一方、取引拡大を狙って顧客の株式購入要請に積極的に応じていった。これに事業法人同志の株式持合いも加わり株式の固定化が進行するのと並行して、投資信託等を通じた法人余資による株式投資は盛んで、過剰融資の一時滞留資金も参入して株価を押し上げ、株式市場でも上昇と更なる投機が反復するフィードバック・ループが発生した。

このようなバブル発生の過程において金融政策がどのように関係していたのかについては意見が分かれる。

翁・白川・白塚は、バブルの初期的要因は金融機関行動の積極化であるが、これを増幅させた要因として、長期にわたる金融緩和、土地規制・税制、規律付けのメカニズムの弱さ、日本全体の自信を挙げ、’86年頃から気づきながら’89/5まで金融引締めに入れず、’87-9のインプライド・フォワードレートをフラットのまま放置した点を反省材料としている。岩田も’88年にマネーサプライが2桁の増加になるのを抑制しておれば、バブルは発生しなかった、と政策転換の遅れを指摘している。この間の事情に就いて地主・黒木・宮尾は、’87年に日銀の政策反応関数にシフトが起きており、インフレ係数が上昇、生産係数が低下して、問題の少なかった物価重視の政策に切り替えられたことを指摘している。

この様に長期にわたる金融緩和は直接の原因ではないとしてもバブル拡大の温床となったことを認め、早期に金融政策で対応すべきだったとの論調がある一方、バブルの存在自体に懐疑的な吉川は、土地に対する期待利潤率の上昇からLM曲線が上方へシフトしそのままなら高金利、所得減となるべきところ、プラザ合意に基づく低金利政策でLM曲線を当初よりも下方へ再シフトさせたため地価上昇と低金利が両立したが多少下方に行き過ぎた、と金融政策の影響を認めつつも、基本的には地価・株価の上昇と設備投資とは回帰分析の結果有意な関係にはなく、資産価格上昇が設備投資を過剰に刺激しない限り資産価格の動きに金融政策は関心を払うべきでない、このことは国際的コンセンサスでもあるとしている。従って対応策としても、今少し金融緩和を弱めるべきだったことと、不動産融資に対する選別的抑制策をいま少し早期に発動すべきだったことを提言しているに過ぎない。

これに対し、香西・伊藤・有岡はグレンジャーの因果性テストを用いて計測した結果、株価・地価の上昇はマネーサプライや不動産融資の結果ではなく原因で、物価とも独立していると指摘し、政策的には物価と資産価格という2つの独立した政策目標を同時に達成するのは困難であるとした。しかしながら反面、ファンダメンタルズで説明できない資産価格の上昇には期待の変化が存在するため、低金利の永続期待を誘発しないような予防的な金融政策はありうるのではないかとも示唆している。また、有岡は補論で、Caporale and GrierFED政策モデルを改良して計測した結果、日銀の金融政策(有担保コールレート金利)決定要因として株価は有意ではない。物価、景気、為替レートが有意であることに加えて、政治的要因(プラザ合意、大蔵出身の日銀総裁は金融緩和要因、竹下蔵相、選挙はそれをチェックする要因)が排除できないとしている。

政策論は改めて論じるとして、バブル発生の過程における資産価格上昇と金融緩和との関係についてみれば、@金融緩和による金利低下は資産のファンダメンタル価格を引き上げる、A加えて長期の金融緩和は期待の拡大に結びつきやすくファンダメンタルズを越えた資産価格上昇を齎す、ということになろう。さらに、銀行貸出の積極化、資産価格上昇による担保価値の増加が背景にあることは言うまでもない。

では期待の拡大は長期に亘る金融緩和のみで発生するか、詳しくは稿を改めるがこの辺のプロセスを簡単に見ておきたい。

1980年代前半は、第2次オイルショック後の長い不況の後、’83年に入り回復に転じたものの力強さに欠け、地価は上昇を始めてはいたが東京都心の商業地という局地的な動きで、株価も家計・企業の高貯蓄から財テクが話題になるなど動意はあったものの、未だ先行きに就いては半信半疑の状態で、心理的には落ち着いた状態であったといえる。

’85年半ば以降対外収支の不均衡是正を名目に、以後1年間で100円以上の円高となり所謂円高不況が齎された。内外からは、内需拡大が声高に叫ばれたが財政難で民活が提唱されるなど実効が伴わず、重苦しい雰囲気が支配した。反面、NTT株式売り出しに象徴されるマネーゲームの進行、国有地の高値入札などの地価上昇は一段と話題にはなったが、景気とは別の動きとして傍観視する空気が強かった。寧ろ年末には世界大恐慌の再来が話題になるなど不安感が拭えなかった。

景気は’86/11が底であったが、’86/10の朝日新聞の主要企業100社アンケートでも、円高デフレは下期も続くとの見方が89社から示され、’87年になっても一部を除き多数のマスコミは不況感を訴え、2月には再利下げ、4月には6兆円の円高不況対策を引き出した。この間、土地に付いては土地臨調の答申を契機に政治問題化、マスコミでは犯人探しが始まるなど議論は経済問題から乖離して迷走を始めた。10月にはブラックマンデーが発生、株価も反落して資産価格問題は経済政策の視野から消えた。一方秋口頃から漸く景気回復が論じられる様になり、円高不況克服の自信が急速に広がった。

’88年に入ると円高が一段落すると同時に景気は自立的拡大過程に入り、個人消費、設備投資の持続的拡大と相俟って好調、土地も都心の上昇は一服したが高止まりで着実に周辺、地方へ波及、株価は力強い上昇で東京は世界最大の株式市場と称された。このように、景気の循環的上昇局面、不安な面が強かった対外収支の調整と資産価格の上昇という3つのベクトルの方向が一致した所で総強気が形成され、資産価格バブルがコントロール不可能な規模にまで膨張したといえる。

この背景には、日本経済が規模の上でも世界大国の一員としての認知が進む一方、それに伴う責務とも言うべき国際金融協力、その結果としての円高に伴う不況を克服した時点での上昇する資産価格に対する「不安な自信」から「確信的な期待拡大」への転換があり、言わば円高不況は日本経済の国際化にとっての「通過儀礼」で、平成バブルはその後の精神的な開放感を伴った盛宴としての面があることを否定できないのではないか。

 

2.バブル発生のメカニズム

(1)地価

 地価の動きを公示地価で見れば、(第2-1図)の通りで、

(資料出所)国土交通省「地価公示」

 

オイルショック後の落ち込みから立ち直りを見せた’80-1年の小騰の後、「土地神話の崩壊」とか「大都市空洞化論」などの悲観論が一時支配したが、東京の商業地は’84年頃から徐々に上昇に転じ、その後ピッチを速めて’88年には前年比61%高という狂騰ぶりとなった。しかし、更にこれを日本不動産研究所の資料で細かく見ると、東京23区のみでは既に’86/9に伸びはピークに達し、多摩地区、東京周辺へと波及していったことが分かる。これに引かれて大阪も上昇、’90にピークをつけ、他の大都市も多かれ少なかれ追随している。尤も、全国平均の上昇は遥かに低く、地方都市への波及は小さかったといえる。

これに連れて東京の住宅地も’88年より(23区の上昇率ピークは’86/9)急騰、1年遅れて大阪へも波及している。全国で見ると上昇率が低いのは商業地と同様。

東京の商業地急騰は何故起きたか? 産業構造の変化と東京の情報、金融都市化の進行による需給逼迫に端を発したものといえる。即ち、東京圏の工業出荷額の全国シェアは’60年の29.7%に比し’85年は25.6%と低下したが、手形交換金額シェアでは’8679.9%’6053.2%)、外国企業法人数では’8587.6%’6084.4%)と圧倒的な集中化が進行しており、’81-6年の従業員数の増加は1,192千人(全国の41.8%)、非製造業のみでは1,169千人(同48.8%)を占めた。この間OA化の進展もあって1人当たり事務室床面積も2割程度増加しており、東京におけるオフィス需給は急速に逼迫することとなった。

 これは東京の空室率(2-2)に明らかで、各都市のビルヂング協会加盟の大手ビル会社対象の調査である為実態より低めの水準の空室率とは見られるが、’82年より1%割れの超逼迫となっており、特に’84-90年に亘って全国水準の半分以下の状態が続いた。

(資料出所)日本ビルヂング協会連合会「ビル実態調査のまとめ」(東京1986NA

 

賃料に就いては、2-3年毎の条件更改が一般的で長期賃貸の場合更に変更幅が小さくなる傾向がある為上昇は遅れ勝ちながら、東京は’87年頃から上昇ピッチが上がり、’92年には全国平均の2倍となった(第2-3図)。

ビル建設もタイムラグがあり、都心3区では’86年頃から漸く高水準となってきたが、用地の制約が少ない周辺を含めた23区合計では’84年頃からコンスタントに前年比10%を越える伸びとなり、’88年にはピークとなった(第2-4図)。しかし、土地仕込みはこれより更に先行しており、港区での実態調査では’80年頃から個人から法人への土地取引が増加、’83年には100u以下の取り引きが増加(地上げ)、法人間の取り引き増(転がし、‘80-6)が見られる。町田市でも都区在住者の買い主増加(買い替え又は投資、‘80-)、個人から法人への取り引き増加が見られ、買い漁り、土地転がし、相続対策としての不動産投資などが盛んに行われていたと思われる。東京都心における土地取引は実需に基づき’80年頃から盛んになり、年を追うにつれ地上げによる買い集め、買い替え、値上がりの結果の節税対策、等の土地需要は連鎖的に拡大、かつ周辺へ波及していった。これと共に単なる値上がり期待の熱狂の渦も大きくなっていったものと思われる。

(資料出所)同上、実質賃料は敷金・保証金金利を’86迄は10%以降は長プラで換算し加算

 

(資料出所)東京都都市計画局「建築統計年報」

 

まとめ

(1)戦後の景気循環のなかで1980年代の後半から90年代前半にかけての第11循環(所謂平成バブル)は、成長率、物価、通貨量についてみれば過去の循環と特に目立つ点はないが、消費者物価との比較で見た株価、地価の変動(上昇、下落)は群を抜いており、一般物価に比較してこれら資産価格の突出が特色となっている。

(2)バブルとは何かについてはそれほどかみ合った議論がある訳ではないが、これまでの諸説を整理してみると、@長期、中期、短期の景気循環の組み合わせとして説明するもの、A資産価格を理論的に説明するファンダメンタルズからの実際価格の乖離として説明するもの、Bむしろファンダメンタルズを変動させる要因(例えば収益成長期待率、収益成長期待期間など)の変化を捉えて従来のトレンドから外れた大変動を以ってする説、C心理的な側面を捉えて熱狂・陶酔現象とする説、等がある。何れも首肯すべき点は多いが、ここでは取り敢えず、「地価、株価に象徴される経済実態から乖離した資産価格の上昇とそれが国民経済に及ぼした影響の総体」と定義する。

(3)重化学工業の地盤沈下と情報・金融機能の東京集中、外国企業の進出などで東京の商業地では1980年頃よりオフィス需給が逼迫し始め、空洞化しつつあった都心の土地需要が急増、地価は1984年頃から徐々に上昇、’86年にはピークとなった。これが周辺に、さらには代替地を求めて住宅地へと波及、果ては上昇が上昇を呼ぶかたちとなり、大阪、その他の地方主要都市にも波及していった。

(4)株価は金融機関、事業法人等による株主安定化が進んだ上、投資信託を通じた法人、個人の買いが株価を押し上げ、’83年頃から本格的な上昇となった。

(5)これらの資金の供給源についてみると、先ず個人は家計内の蓄積が1970年代後半より着実に進んでおりその大半は預貯金であったが、徐々に生命保険、金融機関外貯蓄が増加、これらが形を買えて不動産融資、株式投資へ向かった。また1986-89年には個人資金の一部が投資信託へもシフトしたと思われる。

(6)法人について業種別に見ると、製造業は設備投資を上回るペースで自己資本が増加、一貫して運用が拡大、結果として借入金依存度は低く、’89年には一時的に運用額が借入残を上回る実質無借金状態も出現した。非製造業(除く不動産、建設)はもともと自己金融力低く借入依存度が高いが、’83年頃からの流通、レジャー等を中心とする設備投資も専ら借入に依存したかたちとなった。その過程での過剰調達分は余資として一時滞留、運用に向かった。不動産業も設備投資水準が’80-6年、’86-9年と2段階的に切り上がった上、’86年以降土地仕込みが盛んでこれを全面的に借入に依存した為、’92年には全借入市場の21%を占めるなど、借入市場でのビッグプレイヤーとなった。借入の一部が運用に回されたのは非製造業と同様である。

(7)全国銀行の貸出残高増減で見ても傾向は同様で、製造業向け貸し出し増加額は漸減して’89-92年では純増ゼロとなったのに対し、非製造業は引き続き借入純増では首位を保ってはいるものの、限界的には不動産業の借入増加額が1980年代を通じて11倍と急増し、建設、ノンバンクを合わせた不動産関連3業種の借入増は’86-9年では35%を占め非製造業と並んでいる。

(8)これらを併考すると、東京のオフィスビル需給の逼迫を切っ掛けとして始まった商業地需要の拡大、地価上昇は用地手当て、代替地手当て、相続対策の為の土地購入と連鎖的な地価高騰のメカニズムをつくり、周辺、地方大都市へと波及させた。これを支えたのが資金量が拡大した反面従来の主要貸出先である製造大企業の資金需要低迷に苦しむ銀行の貸し出しであった。一方株式は銀行・生保等金融機関、事業法人の安定株主化により市場から吸収された上に、法人余資の運用を主体とする投資信託の市場参加によって上昇を続け、遂には投資信託を通じての個人資金、過剰調達の一時運用資金まで市場に参加して上昇が上昇を呼ぶループを形成することとなった。

(9)この間の金融政策の関わりについては各論あり改めて検討するが、金利低下は資産のファンダメンタル価格を引き上げ、その長期化は期待拡大からファンダメンタルズを越えた資産価格上昇を齎すことのみ指摘する。

(10)この間の社会的意識との相互作用についても稿を改めて論ずるが、日本経済の国際化に対する漠然とした期待はあったものの1987年頃まではプラザ合意に基づく円高不況との認識が強かった。その間進行していた土地、株式の上昇と相俟って’87年後半から景気回復が実感されるようになった訳で、その時点でそれまでの「不安な自信」から一転して「確信的な期待拡大」に転換したといえる。

 

参考文献

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岩田規久男 金融政策の経済学:「日銀理論」の検証  日本経済新聞社  1993

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地主敏樹・黒木祥洋・宮尾竜蔵 1980年代後半以降の日本の金融政策:政策対応の遅れと

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